2009年03月04日
こころの声。
“ココロの声を聞きなさい”
っていうけれど…。
私のココロはめちゃくちゃおしゃべりで、
尚且つ、ほんと――――によくコロコロ変わる。
そりゃーもう、七変化ばりの見事な変わりっぷりで、
時には日替わり、いや秒変わりの早業で。。。
たまに正反対の事を言い出したりするもんだから、
「一体どっちやねん!!」
って突っ込みたくなるくらい。^^;
そんなココロの声にいちいち従っていたらあぁた、
わたしゃ一貫性の無い、支離滅裂なヒトになっちゃいますよ。
いいんですか?それで。
いや、よくない。(笑)
でね。
気づいたんだけど、今私が言ってる“ココロの声”って、
俗にいう心の声とは違うなって。
今私が言ってる“ココロの声”は、心の声じゃなくて、“エゴ”の声だよね。
“エゴの声に”従っちゃ、マズイよね~。
俗にいう心の声って、ときたまやってくるアレだと思う。
ピーン!!
ってくる、アレ。
いわゆる直感。
いつも不意に訪れる、声なき声。
“ピーン!!”には、何の脈絡も証拠も無い。
証拠が無いものを信じるのって、勇気がいるよね。
自分を信じられなければ、直感も信じられないような気がする。
でも。
その声なき声が、大いなる存在から発せられているものだとしたら…。
信じられるような気がする。
どうすればもっとピーン!!に気づく事ができるのか。
それにはきっと、瞑想しかないんだろうね。
私もね、「趣味は瞑想です」って言えるくらい、瞑想を極めたいと思ってるんですよ。
だけどね、出来ないんですよ、これが…。(-_-;)
せめて毎朝5分間、自分の内側に入っていって、大いなる自分と向き合いたい。
それだけで、随分人生が違ってくるんだろうな~と思う。
そう思うんですよ。
なのに…そのたった5分ができない。。。
5分間思考を巡らせるのは容易いのに…。
イメージワークなら出来るのに…。
こころを鎮める事がうまく出来ない。
呼吸に意識を向ける方法で瞑想に入ろうとしても、
思考がちらちら現れて邪魔をして、
そのことに対してイライラしちゃって、いつも中断。
何かいい方法はないかな~。
そんなことを考えていたら。。。
なんと。
“ピーン!!”がやってきた。
ソレは、「和尚禅タロットを引きなさい」と、声なき声で伝えてきた。
で、早速引いてみた。
水のクイーン RECEPTIVITY(受容性)
「受容性」は女性的なものを、水と感情の受容的な質を表します。
両腕は受け取るために上へと伸ばされ、彼女自身はすっかり水の中に浸かっています。
彼女には頭がありません。
自分の純粋な受容性を妨げる、忙しい攻撃的な心がないのです。
そして、自分がいっぱいに満たされると、絶えず自分を空にしてあふれ出させ、さらに多くを受け取ります。
彼女から出ている蓮のパターン、あるいはマトリックスは、私たちが宇宙と調子が合ったときに明らかになる宇宙の完璧なハーモニーを表します。
「水のクイーン」は限界のないひと時、どのような期待も要求もなく、清華もたらすすべてのものに感謝するひと時をもたらします。
義務も、利点や報酬を考える事も重要ではありません。
感受性、直感、そして慈悲こそが、まさにいま輝き出ている質であり、私たちひとりひとりを隔て、私たちを全体からも隔てている障害をすべて溶かしています。
聴くことは、神の寺院に入るためのもっとも基本的な秘法のひとつだ。
聴くことは、受け身であることを意味する。
聴くことは、自分を完全に忘れてしまうことだ――。
そして初めて、あなたは聴くことができる。
ある人の言うことを注意して聴いていると、自分のことを忘れる。
自分のことを忘れられなかったら、けっして聴いてはいない。
自意識が過剰だったら、あなたは聴いている振りをするだけだ――聴いてはいない。
うなずいたり、ときには「はい」とか「いいえ」とか言うだろう――が、聴いてはいない。
聴いているときは、あなたはまさに通路、受け身、受容性、子宮になる。
女性的になるのだ。
そして、行き着くためには、人は女性的にならなければならない。
攻撃的な侵略者、征服者として神に到達することはできない。
あなたが神に到達できるのは、ただ…あるいは、こう言ったほうがいいだろう――神があなたに到達できるのは、あなたが受け身、女性的な受け身の状態のときだけだ。
あなたが陰に、受け身になったとき、扉が開かれる。
そして、あたなは待つ。
聴く事は、受け身になるためのアートだ。
…びっくりするくらいドンピシャなメッセージじゃないですか??
これこそ、大いなる存在と繋がっている証…そう思いませんか??
今までと視点を変えて、5分間自分の内側に耳を澄ませてみる。
これならできる気がする。^^

っていうけれど…。
私のココロはめちゃくちゃおしゃべりで、
尚且つ、ほんと――――によくコロコロ変わる。
そりゃーもう、七変化ばりの見事な変わりっぷりで、
時には日替わり、いや秒変わりの早業で。。。
たまに正反対の事を言い出したりするもんだから、
「一体どっちやねん!!」
って突っ込みたくなるくらい。^^;
そんなココロの声にいちいち従っていたらあぁた、
わたしゃ一貫性の無い、支離滅裂なヒトになっちゃいますよ。
いいんですか?それで。
いや、よくない。(笑)
でね。
気づいたんだけど、今私が言ってる“ココロの声”って、
俗にいう心の声とは違うなって。
今私が言ってる“ココロの声”は、心の声じゃなくて、“エゴ”の声だよね。
“エゴの声に”従っちゃ、マズイよね~。
俗にいう心の声って、ときたまやってくるアレだと思う。
ピーン!!

ってくる、アレ。
いわゆる直感。
いつも不意に訪れる、声なき声。
“ピーン!!”には、何の脈絡も証拠も無い。
証拠が無いものを信じるのって、勇気がいるよね。
自分を信じられなければ、直感も信じられないような気がする。
でも。
その声なき声が、大いなる存在から発せられているものだとしたら…。
信じられるような気がする。
どうすればもっとピーン!!に気づく事ができるのか。
それにはきっと、瞑想しかないんだろうね。
私もね、「趣味は瞑想です」って言えるくらい、瞑想を極めたいと思ってるんですよ。
だけどね、出来ないんですよ、これが…。(-_-;)
せめて毎朝5分間、自分の内側に入っていって、大いなる自分と向き合いたい。
それだけで、随分人生が違ってくるんだろうな~と思う。
そう思うんですよ。
なのに…そのたった5分ができない。。。
5分間思考を巡らせるのは容易いのに…。
イメージワークなら出来るのに…。
こころを鎮める事がうまく出来ない。
呼吸に意識を向ける方法で瞑想に入ろうとしても、
思考がちらちら現れて邪魔をして、
そのことに対してイライラしちゃって、いつも中断。
何かいい方法はないかな~。
そんなことを考えていたら。。。
なんと。
“ピーン!!”がやってきた。

ソレは、「和尚禅タロットを引きなさい」と、声なき声で伝えてきた。
で、早速引いてみた。
水のクイーン RECEPTIVITY(受容性)
「受容性」は女性的なものを、水と感情の受容的な質を表します。
両腕は受け取るために上へと伸ばされ、彼女自身はすっかり水の中に浸かっています。
彼女には頭がありません。
自分の純粋な受容性を妨げる、忙しい攻撃的な心がないのです。
そして、自分がいっぱいに満たされると、絶えず自分を空にしてあふれ出させ、さらに多くを受け取ります。
彼女から出ている蓮のパターン、あるいはマトリックスは、私たちが宇宙と調子が合ったときに明らかになる宇宙の完璧なハーモニーを表します。
「水のクイーン」は限界のないひと時、どのような期待も要求もなく、清華もたらすすべてのものに感謝するひと時をもたらします。
義務も、利点や報酬を考える事も重要ではありません。
感受性、直感、そして慈悲こそが、まさにいま輝き出ている質であり、私たちひとりひとりを隔て、私たちを全体からも隔てている障害をすべて溶かしています。
聴くことは、神の寺院に入るためのもっとも基本的な秘法のひとつだ。
聴くことは、受け身であることを意味する。
聴くことは、自分を完全に忘れてしまうことだ――。
そして初めて、あなたは聴くことができる。
ある人の言うことを注意して聴いていると、自分のことを忘れる。
自分のことを忘れられなかったら、けっして聴いてはいない。
自意識が過剰だったら、あなたは聴いている振りをするだけだ――聴いてはいない。
うなずいたり、ときには「はい」とか「いいえ」とか言うだろう――が、聴いてはいない。
聴いているときは、あなたはまさに通路、受け身、受容性、子宮になる。
女性的になるのだ。
そして、行き着くためには、人は女性的にならなければならない。
攻撃的な侵略者、征服者として神に到達することはできない。
あなたが神に到達できるのは、ただ…あるいは、こう言ったほうがいいだろう――神があなたに到達できるのは、あなたが受け身、女性的な受け身の状態のときだけだ。
あなたが陰に、受け身になったとき、扉が開かれる。
そして、あたなは待つ。
聴く事は、受け身になるためのアートだ。
…びっくりするくらいドンピシャなメッセージじゃないですか??
これこそ、大いなる存在と繋がっている証…そう思いませんか??
今までと視点を変えて、5分間自分の内側に耳を澄ませてみる。
これならできる気がする。^^

Posted by *rainbow* at 10:19